

ペットロスを理解し、癒すための言葉。
「猫は亡くなっても、毛皮を着替えて戻ってくる」
この言葉は、飼っていた猫が亡くなってしまった後に、生まれ変わって同じ飼い主のところへ来ることを意味しています。
毛皮を着替えるとは、以前飼っていた猫が、生まれ変わって、以前の見た目と違う色や模様(あるいは種類)になって、以前の飼い主のところに戻ってくるということです。
外見は違うけれど、猫の魂は以前飼っていた愛猫だということです。
つまり、猫の転生輪廻ですね。
生まれ変わりに関しては人間の転生輪廻を信じない人もいると思います。
それをここでどうのこうのと論じるつもりも、否定するつもりはありません。
ただ、猫のことに関して、「生まれ変わっても元の飼い主のもとに毛皮を変えて再会する」という伝説のような話が存在するということです。
ここでわたしが言いたいことは、
共に暮らしていた愛する猫が、生まれ変わって自分の元へ来てくれるのと、死んだらただの灰になってしまって、魂もなにもなってしまう、ことのどちらを信じたほうがいいのかということなのです。
生まれ変わらないということは、猫の魂が存在しないことであり、再会することはありません。
でも、魂があり、飼い主への愛情があって、また同じ飼い主の元へ生まれ変わってきて、再会できるとしたら、とても嬉しくはありませんか?
どちらがいいかと考えたら、わたしは生まれ変わって再会できるのならば、絶対再会したい。
また愛する我が子がわたしの元に来て欲しい。
そう思います。
実際、わたしは小さいときから何匹も猫を飼ってきましたが、今年14歳となる茶トラのチャミー(メス)とは初めてあったような気がしなかったのです。
直前に飼っていた茶トラのチャー(オス)によく似ているのです。
性別はオスとメスと違いますが、しぐさや性格などがそっくりなのです。
一緒にいると「懐かしさ」と「デジャヴ」を感じるのです。
だから、以前飼っていた猫が生まれ変わって、またわたしの飼い猫となったんだと心の中で思ってきました。
火葬したら何もなくなってしまうと考えるほど悲しいことはないです。
愛する我が子といつの日かまた逢えるのと、もう二度と逢えないのと、どちらがいいですか?
わたしはいつの日か、また我が子に逢いたい。
そのとき毛皮を着替えていても、わたしは気がつきます。
気がつきたいです。
だって、天国からせっかくわたしを選んで生まれてきたのですから。
再会できたのですから。
この話が本当かどうかを論じるよりも、「毛皮を着替えて飼い主のもとへ生まれ変わってくる」ということを信じたほうが幸せ感があります。
そう考えるほうが、ペットロスを癒すことが出来ます。
何が悲しいかといえば、二度と永遠に逢えないと思うことではないでしょうか?
わたしは信じます。
我が子が毛皮を着替えて生まれ変わってくることを。
お読みいただきありがとうございました。
