
ペットロスを理解し、癒そう!(悲しみが感謝に変わるとき)
ペットロスを理解し、癒すための言葉。
「愛するペットを失った悲しみが、いつの日か感謝に変わるときがやってきます」
愛するペットを失うことは、自らの半分をもぎ取られたような痛みを帯びた悲しみ。
でも、いつの日か、悲しみから脱して、共に過ごした日々を感謝するときが訪れます。
愛犬、愛猫を失ったときは痛みを伴う深い悲しみに襲われます。
それは自分の胸が本当にナイフで刺されたかのように痛みを感じます。
悲しくて涙が自然に流れます。
街を歩いていても、電車に乗っていても、仕事をしていても、学校に行っていても、ふとした瞬間にペットのことを思い出して胸を傷めます。
気がつくと、また亡くなったペットのことを考えたりしてしまいます。
心はペットが亡くなったときのままなのに、夜がきて、また朝になる。
時間はペットロスの悲しみに暮れる人を置いてきぼりにします。
無常にも、時間は加速するように過ぎ去っていきます。
それは愛するペットと過ごした日々が遠ざかるようで辛い気持ちになります。
でも時間が経つことで悲しみは弱くなります。
時間は少しずつ痛みや悲しみを奪い去っていきます。
それは痛みという傷を一枚一枚剥がしていくように。
飼い主が一番いやな事。
それは愛するペットを忘れること。
一緒に暮らし、癒しを与えてくれたペットが心の中からいなくなってしまうこと。
悲しみが癒えるということの意味の一つは悲しみを忘れること。
でも、ペットへの愛情があるのなら、それはしたくない。
かといって亡くしたペットのことを考えていると悲しくて仕方がない。
いつまでもメソメソしてしまいます。
でも、
でも、
不思議なことに、やがて悲しみは癒え、愛するペットとの楽しい思い出だけが心に残るようになる瞬間が訪れます。
それがもう一つの悲しみが癒えるときです。
そのためにはペットロスに陥ったとしても「逃げない」「誤魔化さない」ことが大切です。
つまり、「忘れればいい」「死んでしまったのだから考えてもしかたがない」「思い出したくない」「新しいペットを飼えばいい」と悲しみや痛みを避けてしまうと、本当の癒しは得られません。
悲しみや痛みに蓋をして誤魔化してしまうと、心の中に“なにかがたまったまま”になります。
心の奥深くに昇華できない“なにか“を残してしまいます。
そうなると悲しみが感謝に変わる瞬間がやってきません。
悲しくても心が痛くても、愛するペットを失ったことに正面から受け止めるべきです。
いまは悲しくても辛くても、いつの日か必ずペットと暮らした時間が大切な思い出としてペットへの感謝として変わるときが訪れます。
「ありがとう」
涙を流さずに、そう言えるときがやってきます。
わたしは思います。
愛するペットは飼い主の心の中でずっと生き続けると。
お読みいただきありがとうございました。
