
【黒猫が嫌われる理由】
あなたは黒猫と白猫がいたら、どちらを選びますか?
保護猫の譲渡会で、わざわざ黒猫を選んで引き取る人がどれだけいるでしょうか?
たいていの人は黒猫以外を選択するのではないでしょうか?
もちろんマニアはどの世界にもいます。
保護された黒猫の里親探しは時間がかかる、と言われています。
哀しいことだと思います。
黒猫は見た目で嫌われているにしかすぎないのです。
黒猫だろうが、白猫だろうが、茶虎であろうが、猫は猫。
猫の本質に変わりはないのです。
黒猫が嫌われる理由は、単純に「黒」という色が持つイメージに引きずられているからです。
見た目で「好き嫌い」を判断したりすることは、人間の肌の色で差別することと同じではないでしょうか?
【黒猫は魔女の使い?】
中世ヨーロッパでは、黒猫は魔女の使いと思われていました。
中世までのヨーロッパでは、建物の壁に黒猫を生きたまま塗り込んでいた歴史があります。
(建物の中から猫のミイラが発見されている)
なぜそんな酷いことをしていたのか?
魔女の生霊が黒猫に乗りうつり、隣の家の人を監視したり、魔法をかけたりすることがあると信じられていました。
それを防ぐために行われていたのです。
中世のヨーロッパ人が不幸や災いをもたらす存在として恐れたのが「魔女」。
日本でいえば「鬼」でしょうか。
どこの国の歴史でも人間に不幸や災いをもたらすものと信じられていた存在があります。
ヨーロッパなどでは、それが魔女だったのです。
黒猫は魔女や魔術と結び付けられて考えられていたのです。
【猫を飼う起源とローマの猫】
猫が人間と暮らすようになったのは、古代エジプトが始まりだと言われています。
猫はネズミなどから人間の食料である穀物を守ってくれる神の化身と考えられていたのです。
そんなエジプトの猫をローマ人が持ち帰ります。
やがてローマ帝国の支配が広がると猫も一緒に海を渡ったり各地に広がっていったのです。
そうした意味では、ローマは猫が世界中で暮らすことになった出発地ということができます。
だからイタリア人は猫が好きなんですね!
ローマ市内には“猫コロニー”と呼ばれる公共の施設が400ヶ所以上もあります。
猫の世話はボランティアが行い、資金は募金で賄います。
猫コロニーでは、捨て猫や虐待された猫の保護などを行っています。
保護された猫たちは、病気の治療を受け、引き取ってくれる里親を待つことになります。
でも、残念なことがあります。
猫コロニーに保護される猫の多くが「黒猫」または「黒毛が入った猫」なのです。
こうした黒猫の中には虐待された猫がいます。
実は、猫好きのイタリア人ですが、いまでも黒猫を虐待する事件があとを絶たないのです。
黒猫に関する偏見は根深いものがあるのです。
歴史的に見ると、キリスト教がローマの国教となっていくことが黒猫にとっては受難の時代となりました。
カトリック教会は、魔女を悪なる存在とし、その魔女の手先として黒猫がいるととらえたからです。
罪もない人たちが魔女と呼ばれ処刑されたのと同じように黒猫もカトリック教徒たちの手で迫害されていった歴史があったのです。
【黒猫が迫害された暗黒の時代(ヨーロッパ)】
12世紀のローマ教皇グレゴリウス9世がなんとも恐ろしいおふれ出します。
「黒猫は悪魔の下僕(しもべ)」
悪魔の集会では、黒猫が悪の使いを務めているとされたのです。
当時、黒猫にあった漠然とした悪いイメージが教皇の言葉によって権威づけられてしまったのです。
そのことによって黒猫は排除すべき存在となっていきました。
人は「黒色」を「死の色」と考える思考があります。
日本においても葬儀では黒色を用いますし、葬儀に着る礼服は黒です。
「黒色」と言うのは、たしかに人間にとって良いイメージがない色なのです。
ヨーロッパでは、黒色はたんなる「死の色」に留まらず、「不運の色」「悪魔の色」という考えが根付いていました。
黒色は恐怖心を感じる色とされていたのです。
15世紀初め、ときの教皇インノケンティウス7世は、聖人の誕生を記念した祭りの日に「猫を殺す」ことを認めたのです。
聖ジョバンニの夜、猫は生きたまま広場で火あぶりにされました。
カゴに入れられ火の中に入れられたのです。
中世、魔女狩りの嵐が吹き荒れます。
15世紀に出版された「魔女への鉄槌」という本には、魔女の見つけ方、自白のさせ方、拷問の方法などが書かれていました。
魔女狩りはヨーロッパ全土に広がっていきます。
その中で黒猫は魔女や悪魔と結び付けられていきます。
魔女は黒猫に姿を変えてあちこちに潜んでいる。
そう思われていたのです。
ある人の研究では、数百万匹の猫が殺されたとされています。
これはヒトラーがユダヤ人を虐殺した数字よりもはるかに大きな虐殺です。
猫にとっては暗黒の歴史です。
14世紀から18世紀にかけてペスト(黒死病)がヨーロッパの人たちを何度も襲いました。
ペストによって数千万人の人たちが命を落としたと言われています。
ペストの流行は黒猫にまた試練を与えました。
中世では悪魔の化身である黒猫を生贄にすることでペストを封じることができると信じられていました。
黒猫の前足を縛った状態で、建物の壁に生きたまま埋め込んだのです。
(後世になって建物の壁などから猫のミイラがいくつも発見されたのです)
猫を生きたまま壁に埋め込むなど、考えられません。
“かわいそう”という言葉では表現が足りません。
はっきりと証明されたことではありませんが、ヨーロッパにおけるペストの大流行は、猫を迫害した報いとも呼べます。
なぜなら、ペスト菌はネズミがもたらしたものだったからです。
ネズミを退治する猫を殺し、猫が減っていたことによって、ネズミの数が増えていたと考えらえます。
もし、猫が虐殺されていなければ、ペスト菌をもたらすネズミの数も減り、結果的にペストの大流行もなかったかもしれません。
天なる神が、猫を虐殺した人間(ヨーロッパ)に罰を与えたのかもしれません。
歴史の皮肉とはこのことでしょう。
神が与えた罰かは分かりませんが、自然界の法則から見ても反作用が起きたと言えます。
【猫への贖罪】
《イタリアの猫の日》
そんな暗黒の歴史を反省してなのか、イタリアでは毎年11月17日を「黒猫の日」と定めています。
歴史の中で黒猫に行ってきた惨酷な行為を振り返り、罪をあがなう一日とされています。
また、イタリアでは野良猫のことをこう呼びます。
「Gatto Libero」
自由猫という意味です。
《ベルギー猫の祭り》
ベルギー西部の都市イーペルでは、3年に1度「猫祭り」が行われています。
人々が猫に扮装し、パレードが行われます。
この祭りのクライマックスでは、高い時計塔の上から黒猫のぬいぐるみが投げられます。
時計台の真下には多くの人たちが黒猫のぬいぐるみをゲットしようと待ち構えています。
この黒猫のぬいぐるみをゲットできた人は「幸運」とされているのです。
実はイーペルという街では中世の時代から毎年1回、本物の黒猫を時計台の上から投げ落とすという行事が行われていたのです。
「猫祭り」はそうした悲劇を忘れないために、そして犠牲になった黒猫たちを祀るために行われているのです。
そこには悲しい事情があったのです。
イーペルという街は毛織物が盛んな街。
大事な毛織物がネズミにかじられることを防いでくれる猫は大切なパートナーだったのです。
ところが、カトリックに改宗した当時の王が、教会に忠誠を求められ、その忠誠の証として大勢の人たちの前で魔女の手先として信じられていた黒猫を殺すことにしたのです。
もう一つイーペルという街で起きた悲劇があります。
第一次世界大戦でドイツ軍は猫の体に毒ガスのビンを括りつけてイーペルに送り込んだのです。
猫が爆弾の代わりに使われてしまったのです。
この悲劇もイーペルの街の人たちが、猫の鎮魂を祈る理由となったのです。
猫にとっては、たまりません。
猫に生まれること自体が、悲劇としか言いようがありません。
とても悲しい出来事です。
現代に生きる私たちができることは、こうした悲劇を忘れないことでしょう。
【猫が勲章をもらう】
20世紀に入り大きな世界大戦が行われました。
イギリスでは黒猫の復権につながったことがありました。
第二次世界大戦で使われた巡洋艦にベルファスト号があります。
(いまは博物館になっている)
巡洋艦ベルファスト号には、猫の乗組員がいたのです。
これには大航海時代から船のなかで積み荷や食料をネズミから守る役割りとして猫が同船する歴史があったのです。
ベルファスト号の寝室には乗組員の寝るハンモックがありますが、猫用のハンモックもあったのです。
猫もれっきとした乗組員として認められていたのです。
サイモンという猫は、1949年中国との間で武力衝突が起きた揚子江事件のとき、ケガをしたにもかかわらず、ネズミ取りの任務をつづけ、乗組員の士気を高めました。
そのことで勲章をもらっています。
余談ですが、チャーチル首相は猫好きだったようです。
本当は、いつの時代も猫は人間にとってかけがえのないパートナーなのだと思います。
【黒猫の悪いイメージは人間の無知による偏見にしか過ぎない】
まっ、確かに真っ白な悪魔もイメージできませんし、真っ黒な天使もあり得ない~と思います。
ですが、黒猫に関するそれは「迷信」であり「無知」でしかないのです。
猫に聞いてみてください。
「自分が何色の毛色をしているか気にしているか?」ってね!
猫には、自分が何色だろうが関係なく「僕は僕」「私は私」と思っているのです。
【猫好きの人のなかにもある差別意識】
人間の世界では、黒人差別などが問題となっていますが、「差別」は人間と人間だけの問題ではないと思います。
猫が好きな人のなかにも差別があると思います。
猫をその毛色で好き嫌いを判断する。
保護猫を血統証付きの猫より低くみる。
猫の種類によって好き嫌いや地位的な高下をつける。
黒猫を不吉な存在とみる。
黒猫を毛嫌いし見下す。
たしかに、暗闇の中に猫の目だけが光っていたら不気味ですし、黒という色は「死」を連想させます。
ですが、それは猫には関係ない話なのです。
黒色の洋服を平気で着るのに、黒毛の猫を不気味に思うのは、なぜでしょうか?
人間が肌の色の違いに関係なく等しく同じ価値を持つならば、猫も毛色によって差別されるのはおかしな話です。
猫はきっとこう言うでしょう。
「そんなの関係にゃい!」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
